時よ止まれ、映画は美しい

好きな映画や好きな音楽とかに影響されすぎて今を見失うブログ

「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」トム・クルーズは神龍をつくろうとしている

1996年のシリーズ1作目から22年。

トム・クルーズのアクション実演が毎度話題になるし、今回は足も骨折してるんだけど(しかもOKテイクとして使われている!)4作目の「ゴースト・プロトコル」でドバイのビルに登ってたあたりまでは、吹き替えなしでビル登るとはすげーな、気合い入ってんなーぐらいの感覚だった気がする。

にしても、当然トム・クルーズも歳をとっていくのに、次作のアクションのハードルをどんどん上げてるのはいったいどういうことなんだろうか...笑

 

実は、これまでトム・クルーズがアクションシーンの実演に体を張ってるのはなんでなんだろう??とちょっと不思議に思ってたんだけど、6作目にしてスッと理解できたような気がした。

 

スクリーンと観客席のあいだにある壁をブチ破ろうとしてるんだと思う。

虚構と現実世界との境目をなくそうとしている。

 

娯楽映画にはジャンルゆえの弱点があって、うまければうまいほど虚構性・作り物だってことが浮き彫りになってしまう。

アクション映画だと「主人公は死なない」「いまのはスタントだよね」「どうせCGでしょ」って観客にシラケが発生してしまう。最近では「本物を使ったのに、CGだと思われてしまう」って逆転現象も起きてるらしい。

このシラケっていうのはつまりは、いま自分が観ているものは作られたもの=フェイクだって思い出してしまうことなんじゃないかと思っている。

 

これを回避するために、トム・クルーズが導き出した答えが「自分で命がけのアクションをやる」なんだと思う。

 

イーサン・ハントは死なないけど、トム・クルーズは死ぬ。

それは、みんなわかっている。

じゃあどうしたら観客が、イーサン・ハントの不死性を忘れられるのか?

トム・クルーズ自身でアクションをすればいい。

トム・クルーズが死ぬんだから、イーサン・ハントも死ぬ。

観客の意識のスイッチを切り替えることで、フェイクがリアルに変わる。

 

スクリーンを観ながら、これCGかな?スタントかな?なんてこと、今回は1ミリも頭をよぎらなかった。観客の感覚をCG登場以前の時代に引き戻しているわけで、そんなことが今の時代にできるなんてまさか思わなかった。

 

そんなことを考えてたら思い出したのがドラゴンボール神龍のことで、あれってもともとは龍の像でしかなくて、それに神様が力を吹き込むことで神龍になる仕組みになっている。

 

トム・クルーズがやろうとしてるのは、それと同じことなんだと思う。

 

ミッション:インポッシブル/フォールアウト」

監督:クリストファー・マッカリー

脚本:クリストファー・マッカリー

撮影:ロブ・ハーディ

出演:トム・クルーズヘンリー・カヴィル、ビング・レイムス、サイモン・ペッグレベッカ・ファーガソンショーン・ハリス

「イミテーション・ゲーム」はじめにことばがあった

イミテーション・ゲーム」は「言葉」についての物語だ。

 

暗号解読という意味でもそうだけど、それ以上に「言葉の持つ力」を信じさせてくれる映画だ。他の作品だと「インビクタス」や「英国王のスピーチ」がテーマとして近いかもしれない。

 

第二次世界大戦でのエニグマの解読が、世界を救ったと言われているけど、世界を救ったのはチューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)の作った暗号解読機"クリストファー"だろうか?それとも、解読機を作ったチューリングだろうか??

 

卵が先か、鶏が先かみたいだけど、世界を救ったのは「言葉」だと思う。

 

予告でも登場する印象的な台詞がある。 「時として誰も想像しないような人物が想像できない偉業を成し遂げる」

この言葉がなければ"クリストファー"は生まれなかったし、世界は救われなかった。

 

劇中のチューリングアスペルガー的な傾向を持つ人間として描かれている。チューリングの言葉は周囲に理解されず、周囲の言葉はチューリングには理解できない。"世界"と通信するための、暗号の解読キーを見つけられていないのだ。

 

学生時代の唯一の友人クリストファーとチューリングとの通信の手段は2人だけの暗号だった。”世界”の言葉を用いていたわけではなかった。

 

チューリングに"世界"を解読してくれたのはジョーン(キーラ・ナイトレイ)だ。でもチューリングと出会うまでは、ジョーン自身も、周囲から理解を得られない環境に身を置いていた。ジョーンをスカウトするとき、チューリングはなんと言っただろうか。

「時として誰も想像しないような人物が想像できない偉業を成し遂げる」

  

言葉の力は無限だ。目の前の人はもちろん、世界だって救うことができる。しかし語られなければ、無力だ。
語られないことは、存在し得ないに等しい。語るのか、語らないのか。語れなかったこと、語らないという選択、それはどちらも苦い。
 
アカデミー賞で「イミテーション・ゲーム」は脚色賞を取ったのだけど、脚本家のグレアム・ムーアの受賞スピーチは、ベストスピーチにも選ばれている。

 

現実の歴史では不遇な生涯を過ごしたアラン・チューリング
イミテーション・ゲーム」はそんなチューリングの魂を救おうとする、祈りのような映画だと思った。
 
イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」
脚本:グレアム・ムーア
撮影:オスカル・ファウラ
 

 


Graham Moore's Inspiring Acceptance Speech for Best Adapted Screenplay - YouTube

 

<脚本家:グレアム・ムーア 受賞スピーチ>
皆さん、ありがとうございます。
アラン・チューリングは、このような舞台で皆さんの前に立つことが出来ませんでした。
でも、私は立っています。これは不公平です。

私は、16歳の時、自殺未遂をしました。
自分は変わった人間だと、周りに馴染めないと感じたからです。
でも、今ここに立っています。

この映画を、そういう子供たちに捧げたい。
自分は変わっている、どこにも馴染めないと思っている人たちへ。

君には居場所があります。変わったままで良いのです。
そして、いつか君がここに立つ時が来ます。

だから君がここに立った時には、君が次の世代に、このメッセージを伝えてください。
ありがとう。

 


アカデミー賞で最も感動的だったスピーチ「人と違ったままであれ」


『イミテーション・ゲーム』脚本家インタビュー 「アラン・チューリングの物語を正確に伝えなくてはという責任を感じた」 | ガジェット通信